17音が頭のなかで映像になる
多発性硬化症のことを知らない人に病気のことを知ってもらいたい
青森県出身の小田桐美穗さん。地元なら誰もが知っている言葉を季語に、多発性硬化症と診断された当時のことを詠んだ俳句が入賞。大好きなゲームから派生して市民ミュージカルにも取り組んでいた、ダンスとロックが大好きな小田桐美穂さん。17音で次は何を表現しようかと考えをめぐらせているそうです。
「我が左眼ビスクドールや桜桃忌」。桜桃忌(6月19日)は太宰治を偲ぶ日で、その言葉を季語に、多発性硬化症と診断された当時のことを詠んだ俳句が、2023年に実施された第2回私の多発性硬化症俳句コンテストで「秀逸」に入賞しました。2021年にはバイオジェン・ジャパンが企画した「マイバッグプロジェクト」にも参加し、大好きなロックグループ「マキシマム ザ ホルモン」風に、多発性硬化症のイメージでマイバッグをデザインしました。小学生時代はバレエ、中学生時代はダンスに取り組むなど、踊ることが大好きです。上京して住んでいた相模原市で、大好きなゲームの「アイドルマスター」をきっかけに、アイドルマスターのダンスオフ会でお世話になった方とご縁があって、市民ミュージカルに出演して踊っていました。
今にして思えば、体調に異変を感じ始めたのは1997年頃から。受診しても病名はつかず、2~3週間で症状は消えるということを繰り返していました。2018年6月に目のピントが合わなくなり、眼科を受診したものの異常なしと告げられました。ですが、職場の尊敬する先輩から、「目がアンティークドールのように遅れてプルプル動いてるよ」と指摘されました。小児科医であるパートナーから神経内科受診を勧められ、近所のクリニックを受診してMRI検査を受けたところ、多発性硬化症疑いで大病院を紹介され、確定診断を受けました。最初は聞いたこともない病気と思いましたが、入院中の病室で、「訪問看護の別表7」に記載されている病気であることを思い出しました。医療事務として働いていたこともあったので、病気の詳細はわからないながらも、「難病」であることの重さを感じ、「この先どうなるんだろう?」、「車いすになるんだろうか?」と不安で、涙を流したことを覚えています。
病気の症状のひとつで疲れやすく、時には「電池が切れたように」なってしまうので、現在は週4日勤務にしてもらっています。身体的な症状はあまりないのですが、右の足先の感覚が鈍いので、もうトウシューズは履けないな、と思っています。また人込みに行くと暑さや熱気でウートフ徴候に不安があるので、大好きなロックコンサートも現地参加は難しいことが残念です。でもダンスは踊れるし、動画でコンサートの代わりに楽しむことはできています。昔の仲間とのダンス講習会なども再開するなど、楽しみは増えています。
第一回の俳句コンテストを拝見して、皆さんの俳句の17音が私の頭の中で映像になることが面白くなり、テレビ番組(「プレバト」や「NHK俳句」)を観たり、夏井いつき先生の書籍で勉強しています。季語を含めた17音で、どんな私のMSの経験を描こうか、と第三回俳句コンテストへの応募に向けて、想像力を巡らせているところです。俳句コンテストで、多発性硬化症のことが多くの方に知っていただけるようになればいいな、と思い日々励んでいます。
私の多発性硬化症俳句コンテストについては下記よりご覧ください。
第3回私の多発性硬化症俳句コンテスト
https://www.ms-supportnavi.com/ja-jp/home/efforts/effort01/2024.html
第2回私の多発性硬化症俳句コンテスト
https://www.ms-supportnavi.com/ja-jp/home/efforts/effort01/2023.html
第1回私の多発性硬化症俳句コンテスト
https://www.ms-supportnavi.com/ja-jp/home/efforts/effort01/2022.html