辛かった経験があったからこそ今の私がある
俳句も含めて今できることに全力投球の日々
第一回私の多発性硬化症俳句コンテストで「秀逸」に、第二回コンテストではパラ馬術選手を目指していた頃のことを詠んだ句で「特選」に輝いた藤村美来さん。20年前に別の病気と診断され、多発性硬化症と診断されるまで10年もの時がかかりましたが、その経験があったからこそ今の自分があると精力的にさまざまなことにチャレンジされています。
第一回の俳句コンテストのことをSNSで知り、重みのある花鋏で平和の象徴である薔薇を活ける思いを詠んだ初めての句「花鋏使う喜び薔薇の花」で入賞し、驚きました。第二回コンテストで特選を受賞した句は、たまたま夏井いつき先生の俳句講座で学んだ「鳥雲」という季語を、大好きだった乗馬と合わせて詠んだ句「車いす降りて鳥雲仰ぐ馬上」でした。日常、電動車いすで移動する私が、乗馬の時には冷たい車椅子から温かい馬の背にのり、さらに高い雲を見上げる対比を詠んだものでした。発表イベント当日にいただいた講評は、当の本人もびっくりするくらい深い解釈をしていただき、恐縮しています。
私が多発性硬化症と診断されたのは10年ほど前です。実は20年前に身体の不調により受診した整形外科で「線維筋痛症」と診断されました。10年もの間、線維筋痛症の専門医になかなか辿りつけず、たらい回し状態が続き精神的にも追い詰められていました。一旦診断された病名のため適切な診療科を受診できずにおりましたが、難病専門病院で診療をしていた整形外科医のアドバイスで受けたMRI検査のおかげで、多発性硬化症との診断を受けることができました。しかしその時点ですでに車椅子が必要な状況でした。この10年が私の人生の中で一番辛い時期でしたが、家族に支えられて乗り越えることができました。今は多発性硬化症専門医の診察と治療が受けられていますし、一見不運に見えますが、そのおかげで今を精一杯明るく過ごせていますし、障がいをもつ人の課題も気持ちも理解できるようになったと思います。私の人生にとって必要な出来事だったのだと思います。
リハビリで始めたホースセラピーに魅了され、パラ馬術競技への出場を目指して乗馬に取り組んでいましたが、昨年、マイカーの不具合による交通事故で乗馬が続けられなくなり、パラボッチャ競技に転向しました。現在は、ボッチャ全日本選手権西日本大会に出場して来年1月の全日本選手権大会に出ることを目標に日々練習に励んでいます。4年後のパラリンピック目指して頑張っていきたいと意欲を燃やしています。病気の症状で、疲れやすかったり、身体が自在に動かなかったり、ということはありますが、MSを辛いとは思っていません。要は気の持ちようで、MSであってもできることはたくさんあります。負けず嫌いの私だからこそのチャレンジかもしれませんね。
私自身は俳句の基礎知識はなかったのですが、俳人である祖父の家に飾られている俳句を子どもの頃から読み、情景を想像していました。私は絵がうまく描けませんが、頭に浮かんだ情景を五七五のリズムに乗せて文字で初めて描いたことがとても楽しく感じられました。俳句が趣味になれば楽しみがひとつ増えますので、ご一緒に楽しみませんか?
私の多発性硬化症俳句コンテストについては下記よりご覧ください。
第3回私の多発性硬化症俳句コンテスト
https://www.ms-supportnavi.com/ja-jp/home/efforts/effort01/2024.html
第2回私の多発性硬化症俳句コンテスト
https://www.ms-supportnavi.com/ja-jp/home/efforts/effort01/2023.html
第1回私の多発性硬化症俳句コンテスト
https://www.ms-supportnavi.com/ja-jp/home/efforts/effort01/2022.html